東京地方裁判所 昭和45年(ワ)4909号 判決
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〔判決理由〕(二) 晃明の逸失利益とその相続
<証拠>によれば、晃明は昭和一六年三月二五日生れ本件事故当時満二七才の健康な男子であつたこと、同人は当時株式会社加藤材木店の代表取締役の地位にあつて、給与・報酬として月額八万円の収入を得ていたこと、右株式会社はもと原告済男が興したいわば個人会社で、晃明はその代表取締役の地位を父たる同原告から受け継いだものであつて、当時晃明の他に原告セツと晃明の叔父に当る訟外阿部正三とが給与を受けて右会社の業務に従事していたが、晃明が経営および現業の両面にわたり最も大きな労働力であつたこと、しかし一方同人は未だ若年であつたため原告清男が経営上の助言を与えるなどの補助をしていたが、同原告は右会社から給与を得ていなかつたことおよび晃明は当時独身であつたことがいずれも認められる。
右事実によれば、晃明の得ていた右給与・報酬額のうちには若干ながら原告清男の寄与分も含まれているとみるべきものであるから、右事実関係に照らしこのうち晃明の稼働能力価額とみるべきものは金七万円と認めるのが相当である。そして右事実に照らし、同人の稼動可能期間は事故後三五年間(満六二歳余に達するまで)とみるべく、また生活費として右の二分の一を控除するのが相当である。(浜崎恭生)